下町タワー                            短編私小説へ戻る

 夜空に光る赤い明滅は、高層建築物の象徴である。

 私の住むこの下町では、あまりお目に掛かれるようなものではない。

 数年前までは全くなかったのだが、それでも最近はマンションやら大手小売り店やらの、背の高い建物が増えてきて、ちらりほらりとその存在をヘリコプターや飛行機にアピールしている。

  都心に向かうとその赤点は次第に増え、丸の内近辺や新宿などでは星の代わりに赤いまたたきが、この世の終わりを示唆しているかのようである。

  そのような赤い星の中にあって、ひときわ高く輝く星がある。

 言わずと知れた東京タワーである。

 高層ビルの林立する都心でも、これ以上の高層建造物は、まだない。

  いまでこそ東京名物トップの座は新宿都庁に奪われてしまったが、私が少年の頃は燦然とそびえる東京のステイタスシンボルであったのだ。

  昭和39年の東京オリンピックを踏み台に、日本は大きく成長していった。

 産業、文化はもちろん、一般家庭の生活様式までもが日一日と変化していった。 私はそんな中で多感な少年時代を過ごした。

 下町である。

 大雨が降れば、くみ取り式の便所の中身があふれるほどに水が出る。

 晴が続けば、近所の井戸にバケツを持った行列ができる。

 そのくせテレビはあるし洗濯機も持っている。

 テレビの横には停電用の懐中電灯と百目ろうそくが備え付けてあり、洗濯機の横にはひび割れた洗濯板と金だらいがたてかけてある。

 電気冷蔵庫の冷凍室には、リヤカーで売りにくる氷屋さんの氷が一貫目鎮座ましましている、といった具合で、新しい文化を取り入れるのは早いが、その文化をまるまる信用はしていないという、ちぐはぐな状況があちこちで見られた。

  「まあたそんなに汚しちゃって、もう着替え、ないんだからね。いいから外で洗ってらしゃい。手も、足も」

 「はあい」

 ママはうるさいけど、ぜんぜん恐くない。

 パパはあまり怒らないけどすごく恐い。

 でもママが恐くないからといって、言うことを聞かないわけじゃない。

 小学校中学年ともなれば、常識はわきまえてる。

 外の水道で手と足を洗った。

 ゴム草履だから草履ごと洗った。

 家に入る前にもう一仕事あった。

 今日の釣果、バケツの中に水を入れておいてやるのだ。

 バケツの中身は<がにこう>だ。

 がにこうというのは、正確に言うと<アメリカざりがに>だ。

  家のそばのたんぼでとれる。

 捕り方はいろいろある。

 そおっと近寄っていって、さっと捕まえちゃうのとか、がにこうのすみかの二つある出入口の穴の片方から棒をつっこんで、驚いてもう一方から出てくるところを捕まえちゃうのとか、糸に煮干を結び付け、がにこうがそのはさみで煮干をはさんだところを釣り上げるのとか。

 今日は釣り上げるのを採用した。

 竿代わりの棒きれの先に糸を結び付け、その50センチ程の糸の先に煮干を結び付ける。

  がにこうが見えてるときはその鼻先に、穴のすみかにいるときは、その穴の中に煮干をもっていく。

 こつなんかない。

 がにこうは馬鹿だからはさんだものは離さない。

 はさめばこっちのものだ。

 あとはゆっくり釣り上げるだけ。

 同じ煮干を何度も使っていると、煮干がふやけて臭いがしなくなるのか、なかなか喰いつかなくなる。

 ここで素人は違う煮干に替える。

 でもぼくは違う。

 煮干は食えるし味噌汁のだしにもなるが、がにこうは食えない。

  だしにもならない。

 だから煮干は食うことにする。

 じゃあ何でがにこうを釣るのかというと、がにこうで釣るのだ。

 今まで釣った奴から活きのよさそうなのを選んで、尻尾を剥く。

 その尻尾の肉を糸に結び付けてやるのだ。

 これが、以外とよく釣れる。

 バケツががにこうでいっぱいになったところで家に帰る。

 そのがにこうに水をやった。

 水をやったからといって飼うわけじゃない。

 戦わせたりする。

 はさみの大きい方が強い。

 <まっかちん>という奴だ。

 まっかちん以外は捨ててしまう。

 では、まっかちんはどうするかというと、結局は飽きて捨ててしまうか腐らすかだ。

 どんなに強いまっかちんでも、ぼくには絶対に勝てない。

  ざまあみろだ。

  水を入れたバケツを庭の隅に置いて、家の中にはいった。

 濡れたゴム草履で歩くときは、砂が付かないように足の指先を丸めるようにして歩かなければならない。

 足を拭いて家にはいるとママがお勝手に立っていた。

 きものにかっぽう着を着ている。

 ママの頭の上で白熱灯がゆれている。

 電気が点いているのは台所だけだ。

 家の中は薄暗い。

 もう夕方だ。

 部屋の電気はパパが帰ってくるまで点けない。

 ちゃぶだいで絵を描いていた。

 家と東京タワーと太陽とぼくの絵だ。

 弟の弘二が横で見ていた。

 「これなあに?」

 「太陽だよ」

 「これは?」

 「家だよ」

 「うち?」

 「そうだよ」

 「これは?」

 「おにいちゃんだよ」

 「こうじは?」

 「いないよ」

 「かいてよ」

 「やだよ」

 「かいてよ」

 「わかったよ」

 「ねえねえ、これは?」

 「東京タワーだよ」

 「とおきょおたわってなあに?」

 「タワーだよ」

 「タワーってなあに」

 「大きいやつだよ」

 「すごくおおきいやつ?」

 「すごく大きいやつだよ」

 「でんしんばしらよりも?」

 「鉄塔よりもおおきいんだ」

 「ふーん」

 絵が仕上がった頃に電気が点いた。

 パパは暗いのがきらいだから、パパが帰って来るころになるとママは家中の電気を点ける。

 ぼくと弘二は急いで玄関に行った。

 「おかえりなさーい」

 「ああ」

 パパは鞄を置いて外に手を洗いに行った。

 パパの仕事は手にいっぱい油が付くから、特別なせっけんで時間をかけて手を洗う。

 ぼくがそのせっけんで手を洗うと、手が真っ白のかさかさになってしまう。

 でもパパの手はグローブのような強い手だからなんともない。

 「あなたご飯は?」

 「いらん、出かける」

  パパは着替えて出かけた。

 弘二がママのかっぽう着の裾をつかんだ。

 「ねえ、パパは?」

 「・・・・・」

 「ねえ、パパは?」

 「さっ、ごはんにしましょう」

 週に二日、パパはいない。

 次の朝帰ってくる。

 そのことをママに聞くとママはとても悲しそうな顔をする。

 だからぼくは聞かない。

 でも弟は小さいから聞いてしまう。

 するとやはりママは悲しそうな顔をする。

 ママもパパがどこに出かけたのか知らないのかもしれない。

  いや、知っているけど知らないようにしているのかもしれない。

 前に一度ママがパパに聞いているのを布団の中で聞いたことがある。

 隣の部屋だったからよく聞こえなかったけど、そのときはパパがものすごく怒っていた。

 ぼくは指で耳をふさいで寝た。

 次の朝、ママの顔はほっぺたのあたりが紫色に腫れ上がっていた。

 その日からママはパパに何も聞かなくなった。

 ぼくも聞かなくなった。

 だれにもなにも聞かないとしゃべることは少ない。

 だから家でよくしゃべるのは弘二だけだ。

 「おにいちゃん、またかいてるの?とおきょおタワー」

 ご飯を食べ終わってからまた絵を描いた。

 「今度は東京タワーじゃないよ」

 「じゃあ、なあに?」

 「タワーだよ。ただの。東京タワーよりは小さいんだ。でも家よりは大きいし、鉄塔よりも大きいんだ」

 「へー、どこにあるのそれ」

 「商店街だよ」

 「ないよそんなの」

 「あるんだよ」

 「ないよそんなの」

 「あるの」

 ぼくは腹が立った。

 ないのは、わかっている。

 ぼくの想像で描いてるだけだからだ。

 でも、なぜか意地になってしまった。

 いらいらむかむかしていた。

 弘二をたたいた。

 弘二が泣いた。

 ぼくはママに叱られた。

 ぼくが悪いに決まっている。

 その夜ぼくは夢を見た。

 自転車で商店街に買い物に行く夢だった。

 夕方だった。

 家では弘二が待っている。

 ママもパパも家にはいない。

 どこかへ出かけていないのではなくて、初めからいないのだ。

 だからぼくが買い物に出てる。

 買い物を終えて帰る途中、ふと、商店街のはずれの路地を見た。

  どきんとした。

 路地の右には花屋さんとラーメン屋さんが並んでおり、つきあたりにコンクリートの入り口が見えた。

 そのコンクリートの入り口を目で上になぞっていくと、途中から赤い鉄骨に変わった。

 多くの赤い鉄骨は、緩やかなカーブを描きながら、夏の夕焼け空の赤い一番星へと集まった。

 タワーだ。
 あったんだ。

 やっぱりあったんだ。

 思っていたよりも大きい。

 のぼりたいなあ。

 上から見おろしたらどんなに気持ちがいいだろう。

  いつも心臓のあたりにうごめいている、いらいらやむかむかなんか、いっぺんにふっとじゃうにちがいない。

 もう、がにこうを殺さなくてもすむかもしれない

 あれっ?なんか、のぼってもいいみたいだぞ。

  よし、のぼっちゃおう。

 あっ、だめだ。弘二だ。

 弘二と一緒にのぼらなくちゃ。

 迎えに行こう。

 早く家に迎えに行こう。

 タワーが消えちゃうまえに。

 「起きなさい」

 自転車がなかなか前に進まない。

 「ほら、起きなさい早く」

 そうだ、自転車を置いて走って行けばいいんだ。

 「学校に遅れちゃうわよ、いいの?」

 だめだ、足が思うように動かない。

 早くしないとタワーが消えちゃう。

 「もお、何時だと思っているの。早く顔洗ってらっしゃい」

 「はあい」

 目がさめた。

 その日は、学校から帰って、田んぼには行かずに公園で遊んだ。

 夕方家に帰るまで、夢のことは忘れていた。

 「ただいまー」

 「おにいちゃんおかえりなさーい。ねえ、またタワーのえ、かいてよ」

 「あっ、こうじ、タワーだ。自転車だ、後ろに乗れ。ママ、ちょっと出かけてくる。すぐに帰るから」

 「どうしたの?おにいちゃん」

 「タワーだよ、弘二」

 ぼくは弘二を荷台に乗せ、夢中でペダルを踏んだ。

 夢だというのはわかってる。

 でも、なぜだか絶対にあるという確信があった。

 商店街のはずれの路地。

 夕焼けの空。

 一番星。

 花屋。

 ラーメン屋。

 そしてつきあたりでは、そこの家のおばさんが洗濯ものを取り込んでいるところだった。

  父が他界してからもう一〇年になる。

 母は疲れたを連発しながらも元気に働いている。

 弟は母と一緒に暮らしている。三〇にもなって彼女もいないようだ。

 私はうだつのあがらぬサラリーマンで二児の父。

 皆それぞれにゆっくりとした時間の中で、ゆっくりとした幸せを感じている。

  下の子はまだ小さいのだが、上の子はもう五つ。

 社会が少し身に付き始めてきたようだ。

 しかし遊んでいるときは、いつも夢を見ているような顔をしている。

  私もそうであった。

 いや、誰でもそうであったにちがいない。

  空想と現実をさまよいながら遊ぶことの甘美さは、子どもの頃だけの特権だ。

 大人の空想は現実と密着し過ぎて、単なる不純な想像になってしまう。 

  最近特に、夢を見ることができない社会構造を嘆いて、何とか子どもの頃に戻る努力をする大人が増えているらしいが、私も最近その一員になった。

 スポーツクラブに通い始めたのだ。

 よい本を読み始めたのだ。

 よい音楽を聞き始めたのだ。

 時間は少ないが、とにかくいろいろやってみることにしたのだ。

 するとどうだろう。

 半年もしないうちに、星が輝いて見えるようになった。

 空が透き通って見えるようになった。

 外を歩くのが楽しくなった。

 おもては相変わらず多くの車が空気を汚し、マンション工事は地響きをたてているが、それが気にならなくなった。

 あたまにこなくなった。

 そんな澄んだ気持ちのまま、夏の夜の街を歩いていた。

  仕事の帰りだ。

 駅から出てまっすぐ家へ向かっている。

 大きく息を吸った。

 下町の夏の淀んだ空気だった。

 それでも私にはおいしく感じられた。

 夜空を仰いだ。

 まばらだが星が出ている。

 立ち止まってぐるりと空を見渡した。

 どきんとした。

 商店街のはずれの路地の奥。

  その上空に光る赤い光点は、まさしく高層建築物を表す信号だ。

 そしていまでも心の奥で確信している、あの夢のタワーの赤い星だ。

 やはりあったか、ぼくのタワー。

 それは、あの時見たとおり、下町にはにつかわしくない威厳と重厚さを持ってあたりをへいげいしていた。

 のぼらなければと思った。

 のぼらなければならないと思った。

 私は、その赤い光点とその下に続く赤い鉄骨に引き寄せられるように、ふらふらと近寄って行った。

  いや、弘二と一緒じゃなけりゃだめだ。

 迎えに行かなければ。

 赤い光点は間違いなくあった。

 その下の鉄骨も間違いなくあった。

 でもそれはタワーではなく、マンション工事のクレーンであったのだ。

 クレーンが首を持ち上げたまま眠っていたのだ。

 そんなことは、分かっていた。

 はじめから分かっていた。

 そこにマンションができることも知っていたし、昼間クレーンが動いていたことも知っていた。

 それでも私は確信した。

 やはりぼくは正しかったのだと。

 二十数年前の夢の確認が、いま、できた。 

 私にとって下町タワーは、どんなに気持ちがすさんでも、どんなに気持ちが豊かでも、変わらぬ夢の鉄骨でできている、ぼくの心の部品だったと。
 私の心の柱であったと。

                                                                  おしまい

平成4年5月3日