卒塔婆で暖!
あたりまえだが、冬の海は寒い。
冬の湖も寒い。
ある年の、2月のことであった。
茨城県、北浦。
その当時、私と私の友人は、そこでジェットを楽しんでいた。
私のジェット友達は、石屋である。
そもそも、彼が石屋であったことが、ジェットをやるきっかけとなっている。
ジェットは、水に浮かべなければ走ることが出来ない。
エンジンがついているとはいえ、陸上では買い物にもいけないし、ドライブも出来ない。
子供の三輪車より使えない代物である。
我々の持っているジェットは小型の物であるが、それでもガソリンを満タンに入れると160kgはある。
その160kgを2台、とりあえず水のあるところに運ばなくてはならない。
運ぶためには、車が必要だ。
車といっても、乗用車ではダメだ。
特別な車を買うには、金がない。
しかし、石屋は墓石を運ぶためのダンプを持っている。
それも普通のダンプではない。
材料を楽に上げ下ろしできるように、せり上がった荷台がさらに地面近くまで斜めに滑り降りてくるようになっている。
まるで、ジェットを運ぶためにあるようなダンプだ。
そのダンプに2台のジェットを載せ、冬の北浦にジェットを運んだ。
寒風をさえぎる物のない北浦は、本当に寒い。
もちろんウェットスーツではなく、ドライスーツを着る。
ドライスーツは、中に水が浸入しないように出来ていて、洋服を着たまま着用できる。
ふところにホッカイロを入れてもいい。
とにかく、冬でも暖かくジェットで遊ぶことができる。
しかし、ドライスーツの恩恵が及ばない部分もある。
首から上と手首から先、くるぶしから下である。
猛スピードで走るジェットは、容赦なくそれらの部分を冷やす。
グローブをしてもブーツを履いてもゴーグルをしても、冷たさは抑えきれない。
手がかじかんでアクセルを握れないこともある。
あごが震えてしゃべれなくなる。
しかし、寒いからといって止めてしまうには、ジェットは楽しすぎる。
仕方なしに我々は、休憩の時間に暖を取ることを考えた。
一斗缶を持っていき、火を焚くわけだ。
昔、下町ではどこの家でも、この一斗缶が活躍していた。
冬、大掃除の後など、燃えるゴミは各家庭で燃していた。
そのために、下のほうに穴を穿った、赤茶に錆びた一斗缶が用意されていた。
火を焚き暖を取り、焼き芋まで焼いていた。
その一斗缶をジェットの暖に使おうというのである。
一斗缶は手に入れた。
次は燃やす物、燃料を手に入れなければならない。
燃えやすくて消えにくい木材がいいのだが、いずれ灰になってしまう物を買うのはバカらしいし、金もない。
一日暖を取るのに足りるだけの燃料というのは、なかなかないものである。
ジェットの友人は石屋である。
石屋といえば卒塔婆である。
ご存知とは思うが、卒塔婆というのはインドのステューパ(仏塔)を模した木の板で、霊界への手紙のような物だ。
これに、梵字や戒名、送り主の名前などを書いて、法事の折などにお墓の後ろに立てておく。
ゲゲゲの鬼太郎に出てくる、破れちょうちんと一緒に墓の後ろでカラカラいってるあれだ。
あまり知られていないことだが、お墓にある卒塔婆は、石屋が始末することが多いのだそうだ。
始末する。
要するに燃してしまうのだそうだ。
どうせ燃すのであれば、どこで燃しても一緒だ。
それならば、役に立ってもらおうと、北浦に持っていった。
それも、数十枚、束で。
さすがに気持ちが悪いのだが、寒さに凍えるよりはいい。
友人などは平気な顔で、一斗缶に入る大きさに卒塔婆を折っていく。
「うわあ、この卒塔婆、伊賀虎次郎って書いてある。すげえ名前だ。」
などと言いながら、バキバキとやる。
ちょうどよい大きさに折った卒塔婆を、一斗缶に放り込む。
良く乾いた古い卒塔婆は、マッチ一本で火がつく。
火がつけば、たちまち火力を増して大きな火になる。
手早く暖を取るための燃料として、これほど適した物はない。
ついでにパーコレータにコーヒー豆と水を入れ、一斗缶の角に置く。
あっという間に熱いコーヒーの出来上がりだ。
冬のジェットには、まさに地獄に仏である。
ある日、これを海でやった。
冬、館山の北条海岸である。
砂浜に卒塔婆を置くと、湿気を吸って火がつきにくくなる。
それを避けるために、砂に卒塔婆を突き刺した。
我々の陣地を囲むように数十本刺し並べ、卒塔婆の砦を作った。
通常、ジェットをやっている人は、現地で友達になることが多い。
「なかなかいいジェットですねぇ。」とか
「このジェットは、リミテッドですか、モディファイですか。」
とか言いながら懇親を深める。
しかし、この日は誰も近寄ってこなかった。
つまらないので、遠出をしようということになった。
北条海岸からジェットで30分ほど走ったところに、とても気に入っている小さな浜がある。
なかなか人が入って来れないような所なので、綺麗である。
水しぶきを上げながらその浜についた我々は、ある物を見つけた。
卒塔婆である。
それも、我々が燃していた物よりも短い卒塔婆だ。
どうやら海で亡くなった人に送る物で、船の上から海に流した物が漂着したらしい。
ちょうど燃料が切れかかっていたので、これ幸いと拾おうとしたところ、友人が
「それは、まずいんじゃないですかねぇ。」
と私を止めた。
どうしてかと問うと
「一応お坊さんに魂を抜いてもらわないと・・・。」
先ほどまで平気で卒塔婆をバキバキと折っていた石屋の言葉に、私はなにやら薄ら寒さを感じて、拾うのをやめた。
手まで合わせて、冥福を祈ってしまった。
やはり、卒塔婆で暖を取るには、魂の抜けている物に限るらしい。